成長し続け、尊敬される企業に。代表取締役社長 吉本浩之 成長し続け、尊敬される企業に。代表取締役社長 吉本浩之

吉本浩之

2018年6月20日付で日本電産の新社長に就任した吉本浩之が、総合商社を皮切りにビジネスマンとしてこれまで辿ってきた多彩なキャリアやそこで得た多くの学び、経営リーダーとしての考え方、目指す企業像など、様々なテーマについて自由に語りました。

商社でのサバイバル体験で
育まれた起業家精神

─「社長になりたい」という経営者志向は、早くからお持ちだったのですか?

そうでもないです。昔はトップのリーダーよりも、それを陰で支える参謀、かっこよく言えば“軍師”みたいな役割が自分に向いていると思っていました。子供時代も、先頭に立ってみんなを率いるというよりは、例えば学級委員長じゃなくて副委員長とか、リーダーを支えるポジションが多かった気がします。社会に出て仕事で色々なプロジェクトに関わる中で、それが少しずつ変化してきた感じですね。

─どのように変わってきたのでしょうか?

時代順に話していきましょう。大学を出ると私はまず日商岩井(現・双日)という大手商社に就職しました。商社を選んだのは「世界を相手に、グローバルな仕事がしたい」という単純な理由です。このグローバル志向は昔からありました。高校時代は外交官やパイロットも将来の選択肢に入れていたくらいです(笑)。
私の入った当時の日商岩井は「一から十まですべて一人でやる」という仕事のスタイルで、まさに「根性!」の世界でした。担当は自動車分野でしたが、メーカーとの商談、各種の書類作成、海外のルート開拓や代理店網の構築等々、すべて一人でやってビジネスを作りだしていく。基本的に一人で5、6カ国を担当するのが当たり前で、入社1年目からいきなりイランに単身で長期出張に行かされ「仕事が成立するまでは帰ってくるな」(笑)。当時は英語力も未熟でしたし、そもそも現地はペルシャ語なので言葉は全然通じない。腹をこわして死にそうになってもだれも助けてくれません。まさにサバイバル体験で、そういう環境の中で鍛えられました。語学力も、生きるために言葉が出てきて、それで覚えていく感じでしたね。
商社に12年間程いましたが「起業家精神」のようなものは、この時代に育まれた気がします。独立していく先輩も多く、周囲がまたそれをヒーローのように称えるという変わった会社でした。そうした経験は、今も自分のベースになっていると思います。

事業再生の面白さに目覚めた
GE時代

─2003年に商社から米国の大手企業ゼネラル・エレクトリック(GE)に
転職した経緯を教えてください。

一つは商社を取り巻く環境が厳しくなってきたことですが、それに加えて「ものづくりにもっと関わりたい」という思いもありました。
GEには以前から凄い会社だという印象を持っていました。2002年にカーネギーメロン大学でMBA取得のために企業戦略やマーケティング理論などを勉強したときには、GEのカリスマ経営者だったジャック・ウェルチの本も読んでいました。非常に高いビジョンと目標を掲げ、品質管理手法の「シックスシグマ」のような革新的な経営手法を取り入れて成長を続けている企業で、仕事がとても厳しいことでも有名でした。
実際、GEに入ってみると、商社の体育会系の濃さとはまた違った意味で“濃い”会社でしたね。そこで一番鍛えられたのは「リーダーシップ」です。GEではトップに行けば行くほど、ものすごい量の仕事をします。「自分がリスクを引き受け、会社を大きくするんだ」というリーダーのマインドを、色々なプロジェクトに携わるなかで徹底的に植えつけられました。

─GEに在籍した4年半で特に印象に残っているプロジェクトは?

当時GEが日本で展開していた、ある金融事業のターンアラウンド(事業再生)プロジェクトですね。事業再生には自己否定が必要ということもあり、プロパー社員だけではプロジェクトがなかなか進まなかった。そこで外部メンバーの社内公募があり、事情もよく知らず面白そうだと応募したら採用されたんです(笑)。「自動車」の世界から外れたのはこの時が初めて。BtoCビジネスも初めてでした。このプロジェクトではTVCMでのブランドイメージづくりから、業務オペレーションの改革、顧客接点である自動契約機の改良まで、一気通貫でプロセスを変えていきました。それで大きく会社が変わり、一年でターンアラウンドすることができたんです。
このプロジェクトは非常にしんどかった反面、自分にとってはとても楽しく、達成感の大きな仕事でした。これで経営に目覚めた、というよりも、リーダーシップを発揮して事業や会社を再生することの楽しさに目覚めました。あちこち別々の方向を向いている社員たちを、一人ひとり根気よく同じ方向に向け、会社全体を目指す方向に導いていく。それがこんなにも楽しいものだったのか、自分はこういうことが好きだったんだ、と実感しましたね。そういう仕事をもっとどんどんやりたい、と思ったんです。

「いらち」の性格

自分の性格をひと言でいうと、関西弁で言う「いらち」。子供のときは母親からガサツでわがままと言われていました(笑)。人の話を聞かないし、自分の思いこみで走るところがあって、どうしてもっと平和的にみんなと協調できないのか、昔はコンプレックスみたいなものがありました。今も多少それはありますけれど、色々仕事をやってきた中で「いらち」はあながち全部悪いわけでもないな、と思うようになりました。「いらち」をスピードに変えられれば武器になる、と気づいたんです。日本電産に来たのも、そのスピード感が合っていると思えたから。他の会社だと、周りが動かないのでイライラする。上も下も誰も動いてくれず、一人ぼっち。これは空しいです。でも日本電産はすぐにみんなが動いてくれる。そのスピード感は自分にはとても合っていると思います。