企業スポーツへの取り組み

日本電産サンキョーは、スピードスケートのチームを持つ歴史ある企業スポーツチームです。

伝統である企業スポーツの

日本電産サンキョースケート部は、1957年(昭和32年)にその前身である「三協精機製作所スケート部」正式発足の4年前、1953年(昭和23年)の第1号選手 志賀園子の入社に遡ることができ、以来、世界のスピードスケート界に、数々の各選手を輩出している歴史と実績のある企業スポーツです。自らもスケート選手として活躍経歴を持つ、三協精機製作所創業者である故山田正彦名誉会長のスケートに対する熱き想いによって設立され、その精神は脈々と受け継がれています。

全日本に優勝して山田正彦社長の祝福を受ける長久保初枝選手
日本選手団長として挨拶する山田正彦社長

世界を目指せ!~延べ50名を超えるオリンピアン~

日本電産サンキョーは、半世紀以上の歴史と伝統を誇る企業スポーツの名門チームです。1960年(昭和35年)の第8回冬季オリンピック・スコーバレー大会(米国)に、3選手が出場して以来、冬・夏併せて延べ50名を超えるオリンピアンを輩出してきました。その強さの秘密は、スケートは個人競技でありながら、監督・コーチと一体となり、またチームメイトと切磋琢磨しながら、常にTEAMを意識して取り組んで来たからだと言えます。TEAMの力がこの力を引き立ててきました。

念願のメダルを手に花束をかざす宮部行範選手
女子チームパシュートで金メダルを獲得し日の丸を掲げる髙木菜那選手

SUPPORT OF Nidec GROUP

日本電産サンキョースケート部を側面から強力にサポートしているのが、日本電産を始めとした日本電産グループ企業の役職員が加入しているスケート部後援会です。現在、その会員数はグループ全体で4,000名を迫る勢いで、世界中にその輪は広がっています。

TECHNICAL SAPPORT

始まりは、長野オリンピックを控えた1997年(平成9年)頃、スラップスケートは入手困難な状態でした。
完成度の高いスラップスケートを選手に提供できないかと依頼を受けた、日本電産サンキョーの技術陣は一念発起。
得意の精密部品加工技術を活かし選手一人ひとりの足の動きに合わせたスラップスケートを制作いたしました。
また、技術サポートで最も重要なのはブレード(刃)の調整といわれており、2つのポイントがあります。
1つ目のポイントは氷面とブレードの摩擦抵抗を限りなく少なくしつつ、ブレードの推進力を氷に最大限に伝えるといった背反した理想形のバランスを取る事を実現するために1/1000mm単位で削り調整していく必要があります。
2つ目のポイントは、リンクのコーナー(曲がる箇所)で安定性を維持するために、ブレードをカーブと同じ方向に弧を描くように曲げておくことが重要で、こちらも同様に1/1000mm単位で角度を調整する必要があります。
ゼロからの研究でしたが日本電産サンキョーでは、その調整に必要な測定機器や道具を自ら設計し、高度な技能をもった技術者が、選手一人ひとりの感覚を数字にして、調整を行い、万全の体制で支えています。

グラインダー研磨
スラップスケート

選手育成と地域貢献

日本のスピードスケート界は少子化や指導者の不足によって年々競技人口が減少していることから、オリンピックや国際大会でメダルを獲得できる次世代のスピードスケート選手の育成が喫緊の課題となっています。将来のスピードスケート競技者を育成するには、小学校から高校・大学に至るまで一貫指導のサポート体制が必要となります。日本電産サンキョーでは、従来から実施してきた近隣の小中学校でのスケート教室での指導に加え、2015(平成27年)には日本電産サンキョースケートスクール開校し、スポーツを通じて社会と触れ合い、日本のスピードスケートの発展及び社会・地域振興に寄与しています。

スケートスクール
オリンピアンによる派遣教室

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