スポーツ支援
スピードスケートチーム
日本電産サンキョースケート部
スケート競技の発展を願って
日本電産サンキョースケート部とは
スピードスケートチーム「日本電産サンキョースケート部」は1957年に創部された歴史あるチームであり、日本電産サンキョー株式会社本社のある長野県諏訪郡下諏訪町に拠点をおき活動しています。
1960年のスコーバレー冬季オリンピック以降、延べ54名の日本代表選手を輩出しており、日本のスピードスケート選手強化の基盤を支え、国際競争力の向上に大きく貢献しています。
日本電産グループは、日本電産サンキョースケート部の活動のサポートを通じて、スケート競技の発展を支援し、常に世界トップレベルの選手を輩出し、皆様に大きな喜びと感動をお届けすることで社会に貢献したいと考えています。
日本電産サンキョースケート部の社会貢献
スピードスケート競技の課題
日本電産サンキョースケート部では、競技人口の少なさというスピードスケート競技そのものが持つ根本的な課題に正面から向き合っています。スピードスケートの日本での競技登録人口は2,180人と、人気のサッカー89万人、バスケットボール62万人などに比べ格段に少ない状態です。また地上波テレビでの競技放映状況などから観戦して楽しむ人の少なさも推察できます。競技をする人も見る人も少ない状況と相まって、スピードスケート競技者が学校卒業以降に選手として続けていくための受け皿も限られています。企業スポーツでいえば、現在日本でスピードスケートのチームを持つ企業はごく僅かです。日本電産サンキョースケート部では、手厚い支援で選手が安心してスピードスケートに打ち込むことができる環境を整えています。
地域に根差した取り組み
日本電産サンキョーが本社を構える長野県の諏訪地域は、諏訪湖とその周りの山々の景色から「東洋のスイス」と称されることもあります。寒さは厳しいが雪が少なく晴天率が高いという地域性もあり、スケートは諏訪地域の伝統スポーツに位置付けられています。同社は地域の伝統スポーツであるスケートの文化の継承・発展を目指し、地域に根差した活動を行っています。
▲かつての諏訪湖では湖上スケートが可能で、1908年には日本初のスケート大会である
「諏訪湖一周スケート大会」が開かれています。
<日本電産サンキョースピードスケートスクールの開校>
日本電産サンキョーは2015年8月に日本電産サンキョースピードスケートスクールを設立し、活動を開始しました。小学校以降の一貫指導を受けることができる環境があれば、競技人口の底上げに役立つと考えるからです。近隣の小学生から高校生の約30名を対象に週5日間練習を実施しています。オリンピック経験のある日本電産サンキョースケート部の元選手やコーチが指導にあたった効果もあり、2020年度は当スクールから高校生の全国大会において、金メダルを含むメダル3個を獲得する活躍を見せました。スクールの子供たちに夢を与えるとともに、世界と比べてもスピードスケート競技力が高い日本国内での活躍は、将来の五輪メダリストの育成が着実に進んでいることを示しました。
国際大会での選手の活躍を通じて喜びと感動をお届けします
日本電産サンキョースケート部では、創部3年後の1960年以降現在までに行われた16回全ての冬季オリンピックに選手を出場させています。これまでに延べ51名がオリンピックに出場し、計7つのメダルを獲得しています。
日本電産サンキョースケート部 メダル獲得実績 | |||
---|---|---|---|
1992年 アルベールビル・オリンピック |
宮部行範 | 銅 | 男子1000m |
1998年 長野オリンピック |
清水宏保 | 金 | 男子500m |
1998年 長野オリンピック |
清水宏保 | 銅 | 男子1000m |
2010年 バンクーバー・オリンピック |
長島圭一郎 | 銀 | 男子500m |
2010年 バンクーバー・オリンピック |
加藤条治 | 銅 | 男子500m |
2018年 平昌オリンピック |
髙木菜那 | 金 | 女子チームパシュート |
2018年 平昌オリンピック |
髙木菜那 | 金 | 女子マススタート |
今後も地域に根付いた取り組みを継続して行い、子ども達をはじめ多くの人々に競技の魅力を伝えていくとともに、このような実績をあげ続けることで、スケート競技の発展に寄与します。
スケート部を支える日本電産サンキョーの精密加工技術
1秒にも満たない時間が勝敗を決めるスピードスケート競技において、スケートシューズは非常に大きな役割を担っています。日本電産サンキョースケート部はシューズのクオリティの面でも選手をサポートしています。
事業で培った精密加工技術を生かした一番の例として、スラップスケートの開発が挙げられます。スラップスケートは靴のかかと部分と刃(ブレード)が離れるタイプのシューズで、オリンピックには1998年の長野大会から採用されました。その当時日本でスラップスケートの入手は難しかったのですが、日本電産サンキョーでは持ち前の技術を生かして独自に作り上げ、オリンピックに間に合わせて選手に提供することができました。その結果、長野オリンピック男子500メートル種目で金メダルを獲得できました。
また精密加工技術はスケートシューズのメンテナンスにも生かされています。滑走時に氷と接触するブレードには削る、曲げる、砥ぐといった千分の一mm単位の調整が試合の都度必要で、「こんな感じに調整したい」と選手が伝える漠然とした希望を聞いた技術者が程度を見極めて調整しています。
2016年度には、シューズをはめ込んでブレード部分を研磨する自動ブレード調整機を日本電産サンキョーの生産技術部門が制作しました。調整機は持ち運び可能で、遠征の場合は持参し、試合前日に宿舎で調整することができます。試合前の貴重な時間を使った道具の調整作業がこれまでに比べ容易になりました。
このように、日本電産サンキョーの精密加工技術が、選手一人ひとりの希望にぴったり合うシューズの実現を可能にし、世界トップレベルのパフォーマンスを支えています。


▲スケートシューズのブレード調整の様子
詳しくは「日本電産サンキョースケート部」のWebサイトをご覧ください。